鎌倉仏師とは
12世紀末、鎌倉幕府の設立と共に大きな寺院が多く建立されました。寺院の中に収める仏像の需要が高まり、初期は奈良から仏師を呼び仏像を造立していました。
後にその技術を学んだ鎌倉の仏師が育ち「宋風」と呼ばれる大陸の影響を受け、土紋(どもん)などに代表される鎌倉地方特有の造仏技術を開発し独特の姿をした仏像を造立し始め、彼らは後に「鎌倉仏師」と呼ばれます。
鎌倉~室町時代に隆盛を極めた「鎌倉仏師」ですがその後、数を減らし明治時代の廃仏毀釈を機に鎌倉仏師は途絶え100年以上の時が経ちました。
土紋
「鎌倉仏師」の最も特徴的な技術「土紋」(どもん)。漆と土を混ぜ木の型に込め成形したものを仏像の表面に張り付ける装飾技術。
土紋を施した仏像は「土紋仏」と呼ばれ、現存している「土紋仏」は数点のみと大変作例が少なく、室町時代初頭を最後にその技術体系は謎に包まれていました。
「鎌倉仏師」の象徴とも呼べるこの「土紋」なくして鎌倉仏師は名乗れない、と考え7年の歳月をかけて研究実践を行い平成25年に奥西希生が土紋技術の復活に成功、令和二年約650年ぶりの土紋仏を寺院にて開眼致しました。